崇徳院
(二代目 桂 三木助)
エーお処は中船場で、立派な商人(あきうど)でござります。 ▲只今お使いで ■オー熊さんか。サアお上がり ▲旦那何か急用でー ■えらいことができた ▲どどんなことで ■うちの倅が ▲ヘエーちっとも知らんのんで、急にそんなことになろうとはなァ、人間の寿命ってものは解らんでやすなァ、で直ぐ墓場の方へ走りまひょうか ■オイオイ熊さん違う違う。マアお待ち、倅が死んだのやない、倅は奥の十畳に寝てます。で、時に熊さん、こりゃお前さんでなくってはならんことだが是非頼まれておくれ ▲何(なん)でァす ■外(ほか)じゃないがな、実は倅が今日を去る二十日ほど前に丁稚を連れて高津さんにお参りに行った ▲へえへえ ■その日、家へ倅が帰ってから奥の十畳へ入ったなりブラブラ病(やまい)、医者よ薬よと色々介抱はしてみたが一向にゲンが見えん ▲なる程 ■今日もお医者さんの仰るには、この分ではどうも療治の施しようがない、二三日のうちに死んでしまうと言やはるのや ▲ヘエー ■そこで倅に何か心に思うことでもあるなら、隠さずに言ってみろ、と言うとなァ ▲フンフン ■この事は誰にも申し上げられませんが熊やんなら話す、と言うのんや。で、お前とは普段からいい仲だし、倅が何を言うか一つお前に聞いて貰いたい ▲ようます、若旦那(ぼんち)が私(わし)なら話すって言やはるなら聞いて来ます *:..。o○☆ *:..。o○☆ *:..。o○☆ *:..。o○☆ *:. *:..。o○☆ *:..。o○☆ *:..。o○☆ ▲若旦那(ぼんち)(大きな声で) ●誰じゃやかましいなァ、大きな声して ▲手ったいの熊だす ●手ったいの熊かい、相変わらず大きな声やな ▲エーこれは私(わし)の地声だす。若旦那(ぼんち)しっかりしなはれ ●もっとちッぽい声ださんか。マア茶でも呑みんか ▲若旦那(ぼんち)サア、おっしゃれ ●何を ▲エー何をッて、それそれおっしゃれ ●私(わし)の病気の原因かい ▲んん、それそれ ●ちょうど今日を去ること二十日前、丁稚を連れて高津へ参った ▲なるほど ●アノ高倉さんの傍の処に小茶屋があるやろう。あの茶屋の床几(しょうぎ)に腰をかけて四方(よも)の景色を眺めていると ▲フンフン ●何処の嬢(とう)やんかお供を六人連れておい出になった。フット見ると、それはそれは水の垂れるような嬢やん ▲ヘエー ●こっちがにッとみてにッと笑うと、向こうの嬢(とう)やんもこっちをにッと見てにッと笑う。その内にその嬢やんが、塩瀬の茶袱紗を私(わし)の傍にお忘れになったままお立ちになった ▲なる程そこで ●私(わし)がその茶袱紗を持って、これは貴女のではございませんかと出すと、その嬢(とう)やんお供に料紙をこれへと仰って、懐中から色紙をお出しになって、筆の運びもあざやかにサラサラとお認(したた)めになって、これはお礼と申すのではございません、ほんのお心ばかりと下すったのが「瀬をはやみ岩にせかるる谷川の」と、百人一首の内で名高い崇徳院の上の句の歌 ▲ヘエーつまらないものを書いたもんでやすな ●いや、その下の句は「割れても末に逢はんとぞ思う」と云う恋歌(こいか)だ。それからその嬢(とう)やんに別れて家へ帰って来たが、その嬢やんの水の垂れるような姿が目の前へちらついてこのブラブラ病(やまい) ▲なる程、解りました。訳はねえ、その嬢(とう)やんと夫婦(いっしょ)になればいいんで、恋の病 ●アア、そうさえなれば病気平癒 ▲よろしい私(わし)が引き受けませうが、若旦那(ぼんち)その嬢(とう)やんの家(うち)は何処だんね ●家はわからん ▲気が利かねえなァ、一人じゃなし丁稚を連れて居なさるんなら、その時丁稚を走らせたら直ぐ解るんやが、雲を掴むような尋ねもの困ったなァ と、考えながらお店へ参りますと親旦那がお待ちかねで ■ヤア御苦労、御苦労御苦労。倅が何か言いましたかい ▲倅、えらいこと言うた ■何だい、倅なんて ▲今日を去ること二十日前、若旦那(ぼんち)が高津へお参りに行らしって、高倉さんの傍の小茶屋へ若旦那がお休みになった処へ ■フンフン ▲ぐぢゃぐぢゃした女 ■ぐぢゃぐぢゃした女ではない、水の垂れるような女だろう ▲それそれ、水の垂れるような女だからぐぢゃぐぢゃだ。その嬢(とうやん)が若旦那(ぼんち)の顔をみてにッと笑ふ、若旦那もにッと見てにッと笑う。その内に、嬢やんが塩瀬の茶袱紗を落としたのを若旦那が拾ってあげると、その嬢やんが、これ料助 ■料紙だろう ▲料紙々々、を取り寄せて色紙に「障子張る、岩にあたった」と云う歌を書いた ■こたえん代物やな、それは「瀬をはやみ岩にせかるる谷川の」のと云う百人一首の内の崇徳院の恋歌(こいか)を書いたやろ ▲そうやそうや。あんた立ち聞きしたんやな ■立ち聞きなんぞしやせん ▲でマア頭が上がらん。若旦那(ぼんち)恋病(こいやまい)だすッせ、その嬢(とう)やんと夫婦(いっしょ)にさへなれれば病気平癒 ■アアだんない、だんない。貰うてやります。エエ可愛(かあ)いい倅のことや。熊さん行って下され。早(はよ)う行って下さらんか ▲行って下さるのやが家(うち)がわらかん ■わからんかて尋ねてこい、大阪中を探してわからなんだら神戸、堺から紀州、京都でわからんければ東京、北海道、台湾、朝鮮までも探してこい。今日から五日中に探してきたら先度(せんど)貸した百円は帳消しにして、角の借家(かしや)五軒も皆お前に遣る、何でも探してこい。五日経ってもわからなかったら、家(うち)の出入りを差し止める と、草鞋(わらじ)十足と握り飯の弁当をこしらえて本家を出ました。が、さて何処と云うあてがございませんさかい自分の家(うち)へ帰ってまいりまして ▲嬶(かか)や ★何だい ▲運が向いてきた ★何で ▲今日これこれで と一部始終を女房に話しまして ▲ところで困ったのは、先方(むこう)の家(うち)がわらかんので ★だって、その嬢(とう)やんも日本人でっしゃろ。早く探し出して来なはれ。草鞋がここに五足あるさかい、早(はよ)う行(い)になはれ ▲アア、さては本家と嬶(かか)と同腹やな ★うだうだ言わんと早く行になはらんか。どつきまっせ 熊さん詮方(しょこと)なしに、その日一日大阪中を探し廻ったが解りません。夜の十時ごろ帰ってきまして ▲ヘエただ今 ■ヤア熊さんか、御苦労々々、先方(さき)さんは定めて大家だったろうの。今日は二十五日、倅の為には吉日(きちにち)や、コレ早(はよ)う酒の燗して、肴は何ぞあり合わせで勘弁してもらえ。サア熊やん遠慮はいらん、時に先さんは何ご商売なさるお家だった ▲ヘエ ■コレ、ヘエではわからん。早(はよ)う、ぢらさずに話して ▲実は今日一日朝から探し歩いたんでやすが、一向に知れまへん ■一向に知れん。コレ酒の燗ちょっと待ち。風向きが変わってきた。コレ熊。今日は詮方(しょうも)ないが、五日の内に必ず探して来(き)や。この用事済むまで飯(まま)食わさん 熊さん、家へ帰って参りますと ★知れたかい ▲イイエ ★何処を一日歩いて来たんだねえ、あても無くさ。明日は私が知恵を貸すから探しておいで。それはねえ、風呂屋とか散髪屋さんなんてェ家(うち)は町内の人が入れ替わり立ち替わりお出でになるのやさかいに、そこへ入って、何とかお言いだったね、ほら、百人首の「瀬をはやみ岩にせかるる谷川の」さ、それを言っていると、何か手がかりの知れないものでもないから と、女房(おかみ)さんから教えられて、翌日(あくるひ)熊さん朝から家を飛び出ました *:..。o○☆ *:..。o○☆ *:..。o○☆ *:..。o○☆ *:. *:..。o○☆ *:..。o○☆ *:..。o○☆ 散髪屋さんの前に来まして ▲御免… ○ヘエ、いらっしゃい ▲一つ剃(あた)って貰えまひょうか ○ちょうど空いて居りまんね、直ぐ剃(や)ります ▲アア空いてまっか。空いているのは段取りが悪い。左様なら ○ハア空いとると段取りが悪い、怪(け)ったいな人やな 熊さんすたすた行ってしまいました。 ▲アア、ここの散髪屋さん、お客が大勢待ってる。 ▲一服さして貰います □どうかお入り ▲瀬をはやみか(ポンポン煙管をはたいて)瀬を早みか…岩にせかるるか… ○なあ、もし甚兵衛はん、アノ人、怪(け)ッたいな人やな。瀬をはやみと云うては煙草を呑み、岩にせかるると云うては煙管をはたいておまっせ ●「瀬をはやみ岩にせかれて谷川の」と云う歌は、あれは百人一首の崇徳院のお歌で、よう家(うち)の娘が言うていますよ 熊さん、この話を聞いたので ▲エー、ちょっと伺います ●ハイ ▲ただ今、私が申しておりました歌を、あんたの家(うち)の嬢(とう)やんが仰ってですか ●ハイハイ、毎日言うておまんね ▲お家(うち)の嬢(とう)やん、上子(じょうこ)さんだっか ●エヘ……親の口から申すのも何でやすが、ご近所では容貌(きりょう)佳(よし)と云う評判娘で。アハハハハハ ▲それそれ、その嬢(とう)やんに違いない。ではその嬢やん二十日ほど前に高津さんへ行らっしゃいましたやろ ●ハイ高津さんへはよう参ります ▲いやそれそれ、ではお年はお幾つで ●七つでやす ▲エー七つ、そりゃ違う、左様なら と散髪屋を飛び出して、また外の散髪屋へ… *:..。o○☆ *:..。o○☆ *:..。o○☆ *:..。o○☆ *:. *:..。o○☆ *:..。o○☆ *:..。o○☆ ▲御免 □あんた今朝来たお人やな ▲エー今日はこれで風呂屋へ二十七軒、散髪屋へ十六軒、五分刈りが坊主になってしまった と、話をしております処へ、急いで入って参りました男が ■親方、急ぎの用があるんで済まないが、ちょっと間に挟んで貰えんやろか □ちょうど今一(いっ)ときになってるのんで ●イヤ俺は急がないさかい前にしてあげなはれ ■オオ梅はん、どうもお先に済みまへん。実はえらい急の用で ●ハア、何処ぞへか行きなはるんか ■イヤ梅はんの前やが、ご同然(どうぜん)、佳(い)い男に生まれるもんやおまへん、罪だすせ ●何で ■あんた知りなはらんのか ●エー ■家(うち)の嬢(とう)やんの事だんがな、ちょうど二十日ほど前に、中寺(なかでら)町へお使いにおいでになって、帰りに高津さんへお詣りになってた帰りになると、どっと床についたきり御食(おしょく)も進まず、サア親旦那もご心配遊ばして、河内に帰ってる乳母(ばあや)をお呼び寄せになって、嬢やんのお心を聞いてみると、その日、高津で今業平(いまなりひら)とでも云うような何処ぞの若旦那(ぼんち)をお見染めになっての恋患い。一人娘の事ではあり、草を分けてもその恋男を探し出して嬢やんと夫婦(いっしょ)にさせると言うんで、萬助はんは北海道、福さんは京都と探し廻っても、家も知れねば名も解らぬもんやさかい、一向に手がかりがおまへんので、嬢やんのお命も今日か明日、サア親旦那はんも気が気でなく、これから私(わし)に紀州の方を探して来いと言いつけられましてんで、今夜、徹夜(よどおし)で出かけようと思いまんね 似たような話だと熊さんは独りで「瀬をはやみ」と言いながら聞いておりましたが、どうもそれに違いないので、突然(いきなり)その男の胸ぐらを掴んで ▲ヤイ、お前に逢ふと艱難辛苦(かんなんしんく)、ここで逢ひしは優曇華(うどんげ)の… ■アア痛(い)た、痛た ▲痛いも糞もあるものか、お前に逢うばっかりに今日も風呂屋へ二十七軒、散髪屋へ十六軒、並大抵の事ぢゃァねえ、サアその嬢(とう)やんの家(うち)を言え ■薮から棒に人の胸ぐらを掴んで苦しい、マアその手を離せ ▲離さねえ、その家(うち)の名を言わねえ内はこの手は離さねえ ■云う云う、云うから緩めて ▲サア言え言え ■大阪今橋―― ▲大阪今橋 ■鴻池(こうのいけ)善次郎 ▲エーでは、鴻池の嬢(とう)やんかい ■お前さんは ▲俺は玉造の“よろかん”の家(うち)の者だ。俺の家の若旦那(ぼんち)もお前のとこの嬢やんの為に恋患い。サア一緒に来て と、言って居る処へ、やって参りましたのが、九谷焼や清水焼の瀬戸物を売り歩く行商(あきんど)さんで、散髪屋の前へ荷を下ろして一服しておりますと、この騒ぎ ▲サア俺の店(たな)へ来い と、そびき出す途端に、瀬戸物屋の荷の上にガタリ二人が倒れましたから品物は“こみぢこっぱい”、瀬戸物屋は驚いて、慌てて二人の中に入って ★マアマアお待ちやす、危ない危ない、一体こりゃどうした訳や ▲エー訳も糸瓜(へちま)もねえ、家(うち)へ来(く)れば解る、サア家へ来い。「瀬をはやみ岩にせかるる谷川の」歌をよんだのが事の起こりだ ★マア何か知らぬが、私(わし)も品物を壊されては今日から商売が出来ません。聞けば大家の鴻池さんによろかんさんのお方そうな。私の品物の処置をつけておくんなはれ ▲イヤイヤイヤ、そんなことは出来まへん ★何で ▲下の句が「割れても末に買わんとぞ思う」 |
「豆たぬき : 傑作落語」
田中卯三郎 編
明治43年9月発行 出版社(者)は登美屋
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国会図書館(関西館)に複写依頼しました。
複写を元にページを作成していますが、
読みやすくなるよう、旧かな遣いを新かな遣いにしたり、
漢字をひらがなに、ひらがなを漢字にしたり、
漢字を別の漢字に直したりなど、
少し手を加えています。
それから、改行したのは全部私です。
場面転換のキラキラも(^^;)
括弧()内は本の中のルビの部分で、
(「豆たぬき〜」には全ての漢字にルビが打ってありました)、
読み違いがあると困る所だけ、当テキストに入れました。