冬至の日、独り吉祥寺に遊ぶ/蘇軾

『冬至の日、独り吉祥寺に遊ぶ』
井戸の底に微かな陽気が帰ってきただろうか。
あいにくの所、寒い雨が寂しげに降っているが、
枯れた草の根をうるおしていることだろう。
さても、花の季節でもないこの吉祥寺(牡丹の名所)に、
独りでやって来るという、
蘇先生のような真似をする者は他に何人いるだろうか。




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冬至は12月22日、
一年の間で昼が最も短く夜が最も長くなる日です。
古代では冬至を一年の始まりとしている所が多いようですね。
(古代ローマや中国前漢時代など)
というのは、陰が極まり陽が再び戻ってくる、
つまり太陽が新しく生まれ変わる日
と考えられていたからです。一陽来復(いちようらいふく)、だと。
ワシモさんのHP冬至とクリスマス」が大変参考になりました)

それで、蘇軾は
井戸の底に微かな陽気が帰ってきただろうか、
と詠んだのです。

それにしても、冬至って
めちゃくちゃ寒い日じゃないですか。
それでも目に見えないものを感じ取ろうという意識は、
流石詩人だなあと思います。
(しかも井戸の底っていうのがまた詩的というか…)
承句の「寂しげな寒雨が枯れた草の根をうるおしているだろう」
というのも、やっぱり目に見えないものに対して
思いをはせていますね。

転句結句では、
もの好きな自分を面白おかしく表現していると思います。
冬のお寺に牡丹はないけれども、
冬至だし、お団子くらい出たかもしれませんね。



(おまけ)

ショウ
よもぎや中国の姓を表します。
(確か阪神のドラフトで蕭くんっていう若い子が入ったような。)

生成:草冠と、筆を持つ手と、コンパス(で模様を画く)
漢字の形の意味としては、
【ひっそりとしたさま、寂しい】だそうです。
コンパスでものを画く時の音が寂しげだからでしょうか。
しゅしゅって音しますよね。
それが草冠で一気に植物系統な漢字になります。

で、二つ重ねると
蕭蕭
ショウショウ
@馬の鳴く声A風雨の音
BものさみしいさまCまばらでうすいさま
Dあかぬけしてこだわりがない

@は兎も角として
(何となく寂しげだし)、
Dはどうやってそこまで行き着いたのか…。
謎です。
Cは私のおじいちゃんの頭です。

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