戦前の上方落語「崇徳院」に登場する「玉造のよろかん」とは何か<3>

「よろかんと善次郎を出す演出」

 噺の終盤、散髪屋に居た熊五郎(主人公)が歌を手がかりにお嬢さんの屋敷で働いている男を見つけると、いきなり相手の胸ぐらを掴みに行く。

男『藪から棒に人の胸ぐらを掴んで苦しい。マアその手を放せ

熊『誰が放すもんか、家(うち)の名を言はん間(うち)は、滅多に此手(このて)は放せへん』

と猶(なお)も力を入れて締め上げる

男『云ふ云ふ云ふから少し緩めて呉(く)れ

熊『サア言へ、サア吐(ぬか)せ

男『大阪今橋……

熊『大阪の今橋

男『鴻池善次郎

熊『エエ、ぢや鴻池の嬢(とう)やんかい

男『お前さんは

熊『私(わし)は玉造のよろかんの家(うち)の者だ、私(わし)の家(うち)の若旦那、お前の許(とこ)の嬢(とう)やんの為に恋病(こひわずらい)、サア私(わし)と一緒に来て呉れ

男『イヤ私(わし)の方へ来るんだ』

(昭和4年『落語全集』より。傍線は筆者が引いたもの)

・・・

 鴻池善次郎は11代目鴻池善右衛門の別名で、大阪一の豪商の名を継いだ人物である。熊五郎が「エエ、ぢや鴻池の嬢(とう)やんかい」と言って驚くのも無理はない。

 また「玉造のよろかん」は万屋小兵衛(佐々木春夫)の家を指す。万屋の家を大きくしたのは小兵衛の曾祖母お勘で、万屋お勘を略した「よろかん」(※6)が家の通り名となった。

 先に抜粋した速記の傍線部分を読むと、噺家はお嬢さんの家の名を明かすまで時間をかけていることが分かる。落語の聴き手(客)からすれば、これからどんな家の名が出るのかと期待させられる工夫だ。ここで無名や架空の家を出されても客は納得しないだろう。噺家は落語をする時点で最も知名度の高い商家として善次郎とよろかんを出したと考えられる。

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<注釈>

※6 郷土研究雑誌『上方』第56号(昭和10年)P66に「玉造の萬屋お勘(よろ勘とて現在佐々木氏の先祖)」。また『大阪府全志』巻之二(大正11年)P409に「故に俗に同家を萬寒と呼ぶ、萬屋寒子の略なり」とある。                                                                               

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参考文献

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