りんご酒売りの娘





 あるところに二人の男がおりましたとさ。

 二人は従兄弟で顔の雰囲気もよく似ておった。目の色も髪の色も皆同じ茶色

だったかなあ。まあそういう家系だったんだろう。ところで二人は揃って飲んだ

くれで手の負えない荒くれ者だった。時には盗みも働いていたらしい。片方が

ラムといって、もう片方がバズーという名前だった。仲の良さは折り紙つき、

お天道様もびっくりだ。絆の深さは誰にも負けん、そう言ってたかな。これで

まっとうに生きてくれたら、どれだけ周りにおったもんが助かったか、やれやれ

ため息がなんぼでも出る。




 ある夜、二人は酔った勢いで一人の町の娘の操を奪ってしもうた。気が優しく、

金の髪が美しい娘だったが、運が悪かった。市場でりんごを売っている所を、

二人に目をつけられたらしい。さらにもっと、運が悪い事には、娘が子を孕んで

しもうた事だった。さてはて、どちらの男の子供なのか、さっぱり分からん。

男二人は娘が身篭った事を知らずに町を出て行った。どうやら盗賊の仲間に

なるらしい。おかしな話だが、大手を振って町を出て行った。皆、誰もが二人を

恐れていたので、ほっと胸を撫で下ろしたが、また帰ってきたらどうしようと、

町の話題はそれで持ち切りになった。二人の悪評を風の便りで聞くたびに、

町のもんはそっちに気を取られて、金髪の娘が母になった事をついぞ忘れて

しもうた。




 3年の月日が流れて、二人はひょいと、町に戻ってきた。そしてまた市場で、

悪党面下げてぶらぶらしておった。どっかにいい娘おらんかの、前の女は

ええ女だったなあ!あいつよかいい女はそうそういねえだろ、まだここに

おるんだろか、おったらちと面白い。俺ら二人でからかってやろ。どうだ、

俺たちのこと覚えておるかあ、なんてな!おい、兄弟、あそこ見てみろや、

同じところで、似た様なもん売っとる女がおるぞ。りんごの次はりんご酒か、

いいねえ、こいつは。ちょうど喉が渇いていたところだ。ちょいと俺らが客に

なったろかい。

「もしもし娘さん、りんご酒2本くださいな」

次に二人は、俺ら覚えておるか、なんて言うつもりだった。けれど、その女の

横で、小さな娘が懸命にりんごの皮をむいておる。男二人はぎょっとした。

くっと腰を屈めて、小さな娘の顔を見てみる。目は何色だ?髪は何色だ?

なんてこった、どっちも茶色、鳶色だ。それも、俺たちそっくりの!男二人は

慌てて逃げ出した。市場を囲む路地横の家の陰で、取っ組み合いの喧嘩だ。

あれは、お前の娘だ、いや、お前の娘だろう!顔のそばかすを見たか?

ありゃあ、バズー、お前そっくりじゃねえか!何言ってんだ、バカヤロウ、

あの子の鼻は丸くて、それこそお前そっくりじゃあないか!ラムよう、お前の

目玉はどうやら、腐っちまったらしいな、可哀想に、てめえの娘の見分けも

できねえ奴に成り下がっちまって。

 大の大人が子供のようにうろたえている様は、ほんに見ものだった。二人とも、

元々仲が良いから刃物なんぞ出さんわな。「お前のだ」「いやお前のだろう」と、

互いの肩を拳で小突いたり、向こう脛を蹴り合ったり、終いには服の襟掴んで、

ぐっと睨み合い、相手が引くのをじっと待ったりした。待ってもらちがあかない

ので、同時に二人は互いのどてっ腹に拳を入れこんだ。それでも二人の男は

立って向かい合ったままびくともせん。

 それで一人は東の道を、一人は西の道を選んで別れた。ところが帰る宿屋は

一緒だ。二人は部屋に帰って、また顔を付き合わせた。椅子にどっかと座って、

二人は相談しよる。

「どうするよ、兄弟」

「知るか、知るもんか!放っておきゃあいいだろう」

「だけども、俺たちのどっちかが父親だろう?この際、養育費も半分といこうじゃ

ないか」

「正気か、お前!どこの国に無理矢理犯った女の子供に金を出す盗賊がいる」

「しかしなあ、良心がなあ。あの子ずいぶん可愛かったじゃねえか。女もよう、

随分あかぬけっちまって!」

「お前、あれからいくつの殺しや盗みをやったと思うんだ?そんなお前の口から

よくぬけぬけと“良心”なんて言葉が出てくるもんだな、恐れ入ったぜ!ガキの

一人や二人どってことねえって言えねえのか、この腰抜けめ」

「おお?腰抜け?腰抜けと言ったな!この野郎。お前こそ、ちゃんと目も合わ

せずに、よくもそんな事言えるもんだな!お前、市場にいる時からそわそわ

しちまって、娘っ子の顔もろくすっぽ見れずによ、女の顔もそうだ、そんな奴に

腰抜け、何て言われたかねえな」

「何だと、この…!」

二人はまたそこから取っ組み合いの喧嘩をはじめた。切りの無い話がおおもと

だから、それが延々続いた。どうしようもないほど続いた。顔腫らして、二人は

疲れて眠りこけてしもうた。



 あくる朝、ラムは相棒に内緒で、こっそり市場の方へ行ってみた。ラムという

のは、自分の子供に関しては気の弱い男の方だ。もしかして、俺の子かも

しれん、と思うと居ても立ってもいられなくなって、もう一度、市場におった

りんご酒売りの母子を覗いて見た。何度見ても、愛しさが募るばかりで、

こりゃあ、どうもいかん。ラムはやっぱり相方のいる宿へ戻ろうとした。

その時だ。件の母親は幼い娘に留守番を頼んで、持ち場を離れてしもうた。

でっかい樽と、横に詰まれたりんごの山が山脈のように見える。娘はそれくらい

幼かった。盗賊の男がその隙を逃すはずが無い。ラムは辺りをうかがって、

母親がやや遠くの売り場で何かをもの選んでいる様子を確認してから、

人ごみを抜けて、幼い娘に近づいた。

「りんごーりんごー、りんごはいらんかねえ。お酒はちょっとお休みよ」

ちいこい娘がたどたどしい言葉でものを売っとる姿は、例え親でなくとも愛らしく

思うだろう。男の場合は、肝が潰れるかと思うほど、ひやりと思ったもんだ。心の

どこかで、こんなに可愛いと思ったら、自分が自分でなくなるんじゃないかと、

焦ったのだろう。

「りんご、一つ下さいな」

男は金を渡して小さな手からりんごを貰った。一人で留守番かい?小さいのに

エライねえ、などと話しかけたが、娘の目はしっかりと見開いて、警戒を解こうと

しない。ずいぶん慣れたもんだ。男はこりゃあ、賢いと浮かれた一方で、ちっとも

心を開いてくれない幼子を目の前にして、少々慌てた。俺は怪しいもんじゃあ

ねえゾ、と。そこでラムは、ポケットからハッカ飴を取り出して、小さな女の子に

「飴、やろか?」

と、言った。すると、途端に幼い娘の目に光が宿った。口は一文字だが、頬が

赤くなっとる。娘は黙って、うなずいた。娘に飴玉を渡した男は、隣の売り場に

いる中年の女の視線に気がついた。なるほど、隣の奴に娘の様子を見てくれと

頼んで出かけた訳か。ラムは愛想笑いを浮かべて、独り言のように言って

やった。

「俺の娘もこんくらいでなあ」

男はぽんとりんごを軽く上へ投げると、受け取った手でりんごをひとかじりして、

売り場を去って行きおった。



ラムが宿に帰ると、バズーが渋い顔して待っていた。

「お前、どこへ行ってきたんだ?」

「飴玉渡しに、な」

ラムの顔がすっかりほころんでいたのを見とめたバズーは、床に唾を吐いて、

よくやるよ、と顔を歪ませそう言い放った。

 それから、時々ラムはりんごを買いに市場まで出かけた。バズーはそれを

苦々しく思っていたが、どうすることも出来ん。りんごを買うのは、母親がいない

時を見計らってからだ。それが続くと、どうやら隣の売り場の女に怪しまれた

らしい。娘には、

「母ちゃんには内緒だぞ」

と、口止めをして飴玉を渡したが、3つか4つの女の子にそれが通じる訳が

ない。言葉を覚えたての雛鳥は、なにもかも、親に言わずにはおれない性分だ。

 あくる日、男はいつもの様に、母親が持ち場を離れた頃合を見計らって娘に

近づいた。すると、隣の売り場から、母親がぬうとほうきを持って現れよった。

男は、一回り大きくなって、たくましくなった女の面を間近で見て、腰を

抜かした。実際は、男の方が体が大きいんだが、ほうきを逆さに持って仁王立ち

されると、どうも分が悪い。

「あんた、何であたしの娘になれなれしくするんだね」

「いや、俺の娘によく似た年頃で・・・」

さらりと言ったつもりだったが、顔色の悪さで、後ろめたい「何か」が、相手に

どうやら伝わったらしい。女はほうきを振り回して、男を追っ払った。男は脳天に

一発と、腰に突きをもらって、ほうほうの体で宿屋に帰っていった。まるで、

惨めな野良犬のようだった。女は男を追いながら、

「待たんか、この人さらい!」

と、激しく怒鳴ったので、これでラムはもう市場に近づくことさえ叶わない身と

なった。

 ラムはバズーに頭を下げて言う。

「なあ、頼むから、この金をあの娘っ子に渡してくれ」

手には、金貨の詰まった皮袋、バズーはせせら笑いを浮かべて断った。

「ちょうどいい機会じゃねえか、この町を離れようぜ」

ラムは泣く泣く、相棒の言うとおり、二人して町を出て行く事にした。ほんに、

情けない顔浮かべて出て行きよった。



 娘は母からきつく叱られた。あんたには、父親が二人もおる、しかもとんでも

ないゴロツキの!世の中の父親は母子を助けるもんだが、うちの家の

父親だけは、そうじゃない、母ちゃんとあんたに不幸を持ってくる死神だ、

それをようくキモに命じときな。母は娘の口から飴玉を取り出して、道端に捨てて

しまった。娘は激しく泣きじゃくったが、飴が惜しくて泣いた訳じゃなかった、

ただ母親の様子がいつもと余りに違うんで、それでびっくりしてしまったんだ。

まるで別人のように思われて。それでもその夜は、いつもの通り、母親の腕に

抱かれて娘はふうすか眠りに入った。甘いものが恋しくなった時は、飴玉の男の

夢を時々見るようになったが、だんだん娘っ子の頭の中から忘れ去られて

しもうた。

 あくる日、りんご酒売りの娘っ子は、近所に住む男の子と一緒に店番を

しておった。男の子は隣で店を出している母親の目を盗んで、こう言った。

「おまえ、父ちゃんおらんだろ?」

女の子はむっとした表情で「おらん」と言った。

「俺な、知っとる。みんなが言っておったからたぶん本当だ。お前の父ちゃんは

飴玉の男だぞ」

それを聞いた娘っ子は目玉を飛び出さんばかりに目を見開いた。

「母ちゃん、父ちゃんは二人おるって。そんで死神だって」

「もう一人は知らんがな、一人は飴玉の男だ」

そう言うなり、男の子はぴょんと店番の台から飛び降りた。

「内緒やぞ。お前の母ちゃんに言うたら、またきつう怒られるからな。俺はもう

知らんぞ。黙っとけよ!」

娘はしょんぼりして、黙りこくった。今度ばかりは、母親に言えない秘密が

出来たんだ。もう二度と、母親が変わってしまう姿を見たくない娘っ子は、

大事な内緒ごとを、小さな胸にしまい込んだ。それは二度と開かれる事の

ないまま時が過ぎようとしていったのだが、どうも、そうは上手く行かなんだ。




 それから1年と経たない内に、ラムは役人にとっ捕まった。盗賊仲間もろとも

とっ捕まった。バズーだけは辛うじて逃げおおせたらしい。ラムは故郷に錦を

飾らんと、自分の首を吊りに帰って来た。縛り首の台が、目にも鮮やかな

手さばきで組み建てられる。町はちょっとした祭のような騒ぎになった。町外れの

広場に、田舎もんがどうと押し寄せる。黒い服着た神父様が、息苦しそうに

混じっていた。

 りんご酒売りの母子は、広場には行かなんだ。母がきつく、娘に「行くな」と

言ったからだ。けれども、娘は広場で何があるのかさっぱり分からんし、それを

見てみたいという思いが強くなった。みんなみんなこぞって広場へ足を向けるし、

市場はがらんとして猫1匹いなくなってしもうた。事情を深く知らん男の子が、

娘っ子に、一緒に行こうと、言った。娘は、母の目が離れた隙に、男の子と

一緒に広場へ出かけて行ってしまった。

 母親は娘の名を呼んだ。返事はない。おお!神様!母はそう嘆いて、

スカートを捲し上げ、広場へ走っていった。

 広場にはたくさんの人、人、人、で、もう何が何だかよく分からんようになって

いた。人ごみの中心だけ、ぽっかり穴が開いていて、そこは縛り首の台が据え

置かれていた。神父様の言葉は手短に、あっけなく終わってしまい、最後に

言うことはないか?と尋ねられた。ラムはボロ服を着せられて、手を後ろに

縛られ、それでも目の輝きだけは一瞬取り戻して、役人に嘆願しはじめた。

「俺の持ってた金は、全部、お上の懐へポンって訳でしょう?でも、俺には娘が

いるんだ、そいつにちょびっとでも金を分けてやってくれねえか、それであの子が

ひもじい思いをせんで済むなら・・・俺は、俺は…」

泣きながら助けを請う男に向かって、役人は冷たく言い放った。

「金さえ渡せば一丁前に父親面できると思っているのか?お前の手垢で汚れた

金を貰って喜ぶ奴がいるとは到底思えんがな」

ラムは一足早く神の判決を聞いたような顔をして、深くうなだれた。

「盗みを働いた者が、人並みの待遇を受けられるとでも?お前の血を継いだ

娘とやらがもしいるというのなら、汚らわしい子供を産む前に切り捨てなけりゃあ

ならんな」

それを聞いてラムは真っ青になって命乞いをした。自分のではなく、娘の命を。

盗賊が、頼む、頼むと役人に向かって、何かをわめいている様は、周りの

人間の目からすれば、己の命惜しさにほんの僅かばかりでも、この世の時間を

惜しんでいるようにしか映らなかった。役人は合図の手を上げる、ラムと盗賊の

仲間たちは次々と台の上から突き落とされていった。どっと群集の歓声が

湧き上がる。と、その時、「父ちゃん」という鋭い声が上がった。皆はその声に

しんとして、その声の主を見つめた。ちいこい娘がおる。あれがお前の父親か、

と、誰もがいぶかしんだ。

 後から、必死の形相を浮かべた母親が走りこんできた。娘に抱きついて、

見るな、と娘の目を手で覆った。

 ラムは死ぬ瞬間、その声を確かに聞いた。俺は幸せもんだと思って、死んで

いった。娘の口から出るはずのない言葉が生まれたので、男はもう思い残す

事が何にもなくなってしまい、足をばたつかせるのを止めて、苦しみを事切れる

まで耐えて死んでいった。人々はその様子をつぶさに見ておったので、役人が、

にたついて母子に近寄った時は、石さえ投げるのをためらわなかった。

「この子は、勘違いをしているんです。父親は別におります、ちゃんとおります」

「どこにいるんだ?」

「どこか、遠いところです」

「ふん。それなら、別に構いはしないが」

役人はそう言うなり、あっさり帰ってしまった。本当は、周りにおる人間の視線が

恐くって、逃げ出したい気持ちでいっぱいだったのだ。

 その様子を、見守っていたバズーは愕然とした。もしかして、役人にとっ捕まる

かもしれない、という恐怖を乗り切って、はるばるここまでやって来たのだが、そ

れも、全ては兄弟同然のラムの死に様を目に焼き付けるためだった。彼は

確かに涙を流した、広場からほど近い木立にもたれかかって。彼は悲哀の涙を

流す心積もりを相当してきたに違いない。けれどもその涙は、兄弟が目の前で

救われる瞬間を見ることで、中断されてしまった。バズーは心から

喜べなかった。何故なら、あの母親が「父親は別におります」と言ったからだ。

あれは確かにその場しのぎの台詞に違いない。しかし、産んだ本人が言うと

どうも男としては「もしかして」と思ってしまうもんだ。それに、あの娘っ子の

「父ちゃん」という声!あれが、生き延びた男の耳について離れない。あれは

確かにラムに向かって言った言葉だ、俺じゃない。バズーはそう思った。

 だけども、あの声の半分は俺のもんではなかろうか、という思いも、あとから

不思議と男の胸の内から湧いてきた。ラムがあの娘の父親として死んでいった

事はバズーにとって喜ばしい事であったに違いないのだが、そうなったら、

なったで妙な嫉妬心に駆られ始めた。あの娘をラムに独占されてしまったような

気がして。

 それはそれで構わないはずなんだ、何しろ俺は父親ってやつはごめん

だからな。なのにどうして、あの声が忘れられないのだろう。あいつは死に際の

自分を娘に見せる事で、立派な父親を演じやがった。本当の父親かどうかも

分からないのに、父親以上のもんをあの世に持って行きやがったんだ!

俺はどうだ、相変わらず地べたにへばりついて、父親かそうでないか、どうでも

いいことについて頭をさんざん悩ませてやがる。

 例え、俺があの娘の本当の父親であったとしても、俺は父親を名乗る資格

なんぞありゃあしない。本当の父親だったとしても、もう父親とは呼べないんだ。

この血にまみれた手!この様は一体何だ?何でこんな惨めな思いをしなきゃ

ならねえんだ?ええい、もうごちゃごちゃした考え事は止めだ!さっさと酒飲んで

みんな全部忘れちまおう。それがいい、それに限る。

 バズーはいつもより多くの酒をひっかけて、眠りについた。けれど、腹の中は

たぽたぽするし、娘っ子の「父ちゃん」という声がいつまでも、バズーの耳の中で

こだました。あの声は確かにラムのもんだ・・・俺じゃない。それは喜ぶべき事

なのに、どうして、こんなに胸がうずくのだろう。もしかして俺は、あの言葉が

自分のものではない事に嫉妬しているのかもしれないな、どうにもこうにも

馬鹿げた話だ・・・。

 「父ちゃん!」

バズーはその声で目が覚めた。汗をびっしょりかいている。夢の中の娘っ子が

言った言葉なのか、それとも、宿屋の子供が言った言葉が壁を通り抜けて

やってきたのか、どちらか分からなかった。気がつけはバズーは皮袋を持って、

ラムが入れていた金貨と同じくらいの金額を中に入れようとしていた。

くやしかったが、このまま父親かそうでないか悩むより、いっそ父親という事を

自ら認めて、それを金で済ましてしまえば気が楽になると考えた。

 霧が立ち込める朝、バズーは母と娘が住む部屋に、金貨の入った皮袋を放り

込んだ。母親は不気味に思ってしばらくの間手をつけなかったが、もし、これが、

この子の父親の手から渡ってきたものならば、盗んだ金であることは確かだ。

けれど、この金額を目の当たりにして、役人に届けに行く馬鹿も居ないだろう。

そう考えると、母親は娘が寝静まった頃、金貨の入った皮袋を、床下の板を

ひっくり返して穴を掘り、その中に投げ入れて埋め込んでしまった。どうしても

困ったときに使おうと思ったわけだ。そうすれば、金を盗まれた者も、そして

死んでいった盗賊も、あの世で浮かばれるのではないかと、そう考えたから

だった。

 バズーは遠い国で一時は盗賊として名を馳せたが、年を食ったとたんに、

部下から反乱を企てられて、殺されてしまった。男は死ぬ間際、もう少しあの

娘っ子の顔をよく見ておけばよかったと後悔したらしい。顔をじっくり見る勇気も

なくて、行く先々で、同じ年頃の子を見るたびに、今頃どうしているのだろうと

思っていた。薄ぼんやりとした印象しか残っていない娘の姿が、死に行く男の

まぶたの裏にちらちらと映って、あの金さえあれば今も生きているだろうなと

そんな事を考えながら死んでいった。不思議と父親らしい事を考えている自分を

笑いながら、あの世に行ったという事だ。



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