ローマ人の物語T」のメモ。


ロムルスの自慢は「母親が狼」
初代ローマ王ロムルス
(在位期間:BC753〜715)

雌狼に育てられた(伝説だってば)。

・誰も目をつけなかった土地(現ローマ)に目をつけた。ギリシャ人は通商に役立つ海岸線に都市を築き、エトルリア人は防衛に適した山に都市を築いていた。ローマ人は七つの低い丘のある土地でいながら、テヴェレ川を少し下れば海に出れるという…上の2民族の間を取った感じ。

・紀元前8世紀、イタリア半島でローマ建国。

・国政を「」「元老院(長老集団)」「市民集会」と3本柱にした。
・落人集団だった為、女が不足し、その解決策としてサビーニ族の若い女たちを強奪した。しかし人口不足の為、ついにはサビーニ族を吸収合併。

・雷が鳴って突然行方不明になる。一説には暗殺されたとか?


森の妖精と会話するヌマ
二代目の王ヌマ
(在位期間:BC715〜673)
・暦を制定した。

・多神教の神々を整理(宗教改革)した。

・森に1人こもって政策を練った為、人々からニンフと会話していると囁かれた。


 三代目、四代目 戦いに明け暮れる
 他のラテン人の都市を滅ぼし、更にその国の人たちを強制移住。

 ラテン人の国=ローマ国に仕立て上げた。元々おちこぼれ集団だったのにな…


選挙活動をするタルクィニウス
五代目の王タルクィニウス
(在位期間:BC615〜579)

ラテン人ではないのにローマ王になった。彼はエトルリア人とギリシャ人の混血。その両方とも純血を好む民族だったため、このままでは芽も出ない思い、新興国ローマへ家族総出で移住。

・さらにローマ王になる為、自ら出馬表明。ローマ中で選挙演説を展開(必死だ…)。選挙運動をした人間は彼が初めてだと言われている。

大地下水道大競技場の建設。技術者としてエトルリア人が流れてくる。ちなみに剣闘技の見世物をローマに根付かせたのもエトルリア人。


娘にひき殺されるセルヴィウス
六代目の王セルヴィウス
(在位期間:BC579〜534)

・ローマの7つの丘を囲む城壁を建設。

軍制改革に取り組んだ。
六代目の王は人口調査をすることにより、兵士の数を把握。ローマの実質的な戦力を見定めようと努めた。

ローマ軍の戦法の確立
 前衛(敵の戦線を乱す役目)、本隊(主力・重装歩兵)、後衛(味方援護)と三つに分けた。
 数でただ押してくるといった戦法が一般的だった古代当時、隊列を乱さずに攻めてくるローマ軍の威力は相当なものだったらしい。

・ローマ市民の第一の義務は兵役に服する事であり、塩野先生はその時代のローマ人たちの意識は
 「軍制」=「税制」=「選挙制」これがごく自然なものだったと。兵士になることが一人前の証であり、出れない者は市民と見なされなかった。兵役は血税と言われている。戦場へ赴くことのないローマの女性が、選挙権を持たないのは当然の事だった。

・彼の最期。夫を王にしようと企んだ実の娘に馬車で轢かれて死亡


城門を必死で叩くタルクィニウス「開けてくれー」
最期の王「尊大なタルクィニウス」
(在位期間:BC534〜509)

・戦場に出かけている間、親族が起した不祥事の所為で王の座を剥奪された。慌ててローマに戻ったが、 既に城門は閉ざされ中に入れなっかったというのはかなり笑える。


 塩野さんはローマの王は市民の票によって決まるから、終身の大統領と言った方がイメージが合うと言ってます。
 それにしても歴代7人の王は粒ぞろいだったなあ。ニンフと会話したり、選挙運動したり、実の娘に馬車で轢き殺されたり。
 さてさて、次はやっと共和制の時代だ。

(※メモはローマの王制までですが、ローマ人の物語Tは
ローマの王制、共和制(紀元前270頃まで)を描いています)




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