崇徳院
(五代目 笑福亭 松鶴)
 


五代目笑福亭松鶴「崇徳院」落語速記

豊田善敬先生から
転載許可をいただきましたので、
『芸能懇話 第7号』
(平成5年12月1日、大阪芸能懇話会 発行)
P36〜P45に掲載されている、
五代目松鶴の「崇徳院」落語速記を
そのまま抜き出します。
 
 但し、原文と違う点もいくつか
ありますので、ご注意ください。
・旧漢字は、
パソコンの型によって表示されない恐れが
ありますので、新漢字に置き換えています。
・“く”という繰り返し記号は、
横読み文章ですと分かりづらいので、
言葉をそのまま重ねて表記しています。

原文:店の者が替るく(※繰り返し記号)に聞いてみたが…
変更後⇒店の者が替る替るに聞いてみたが…
・「下記」という言葉は、原文ですと「左記」という
言葉になっています。
・括弧( )内の言葉は、
原文ではルビにあたります。

 原文をお読みになりたい方は、
図書館で、上記の本をお借りください。

 転載にあたり、誤字脱字がないよう、
見直しはしましたが、100%ないとは
言い切れません。


それでは、これより転載を始めます。

 


落語速記「崇徳院」

豊 田 善 敬(監修・桂 米之助)


 五代目笑福亭松鶴の「崇徳院」は、たびたび高座にかけられていたネタにもかかわらず『上方はなし』にも他の速記集にも収められていません。この速記は少し読みにくいところもありますが、五代目の落語を忠実に文章化しているので貴重なものだと思われます。出所は下記のとおりです。
  大阪中央放送局 寄席中継台本
  昭和廿三年四月廿四日 后一・〇〇―二・〇〇
  JOBK発 第一放送 全中
  放送者(五代目)笑福亭松鶴

(開始アナウンス)
エゝ一席伺ひます。お処は中船場で、立派なお商人(あきんど)でム(ござ)ります。
「ヘエ今日は、天下茶屋へ仕事に行ってましたら、嬶が主家(おもや)からの使ひや、早う帰って来いと喧しゅう云ふて、呼びに来ましたので、狼狽て帰って来ましたんで。親旦那さん、何ぞ急な用事でムりますか」
「オゝ手伝(てったい)の熊さんか、御苦労さん。仕事が忙しいのに来て貰うて、他の事ぢゃないが、宅(うち)の作治郎がな」
「ヘエ、若旦那が」
「甚(えら)い具合が悪うて、夫(そ)れについて甚い事が出来たのじゃ」
「ヘーン、一寸も知りまへんねんがな。御病気といふ事は聞いてましたが、よもやと思ふてましたが、人間の寿命といふものは、解らんものでやすなあ。夫(そ)れで、お寺は誰方(どなた)か行ってはりますか、墓は如何云(どうい)ふ都合で」
「コレ熊さん一寸待ちんか、まだ作治郎は死んでやせんがな」
「らちのあかん」
「そら何を云ふねん。夫(そ)れについてな、方々のお医者さんに診て貰ふたが、病気の容体が解らんのぢゃ。処が今日診て貰うた先生、お才(とし)が若いが、仲々御診察がお上手ぢゃ、その先生の仰しゃるには、何か胸中で思へる事があるので夫(そ)れを聞いてやれとの事、店の者が替る替るに聞いてみたが何もいはん、手伝の熊さんにお話をすると、こういふので実はお前さんを呼にやったのぢゃ。子供の時分からお前さんとは適性合(うまあ)いぢゃで、作治郎が、何と云ふか、聞いて下さらんか」
「いや宜しい、聞いて下さりまへう、若旦那は何処に寝てはります」
「奥の離座敷(はなれ)に寝てますね」
「いや宜しい」
「コレ熊さん、余り大きな声を出さん様にな」
「承知しました……ヘエ若旦那、貴方何処やお悪いそうだすな」
「誰も此の座敷へ来たら不可(いか)ん云ふたぁるのに誰や」
「ヘエ、手伝の熊五郎でやす」
「アゝ熊さんか、大きな声やなあ」
「大きな声は地声だす」
「アゝ頭へ響く。宜う尋ねてくれた、マア此方へお這入り」
「若旦那、貴方何処やお悪いそうだんな。病は気からといふ事がおますぜ、病気が来たら一つ取組んでボーンと投げてやるといふ気になりなはれ。親旦那が甚い御心配だす、何か思ふてなはる事が有るそうで、この熊五郎になら仰しゃるそうで、承りまへう、サア、仰しゃれ、サア、サアー」
「何や目をむいてゐる。熊さん貴方にならお話しするが、必ず笑ふてなや」
「笑えしまへん、怒ります」
「怒らいでも宜え、実はな」
「ヘエヘエヘエヘエ、さよか」
「まだ、何もいふてへんがな」
「何(いず)れ仰しゃる」
「そら何を云ふねん気の早い。今日を去る事二十日程前の事や、余り退屈やさかいに、店の丁稚を連れて高津さんへ参詣した」
「若旦那、神信心はしなはれ、信あれば徳ありと申しますで。高津さんは、仁徳天皇様がお祭りしてム(ござ)ります。高台(たかきや)に上りてみれば煙立つ、民の竃は賑ひにけりと、ヘエ、ヘエ」
「余り辛度(しんど)なったので、絵馬堂の茶店へ休んだ」
「成程、あれから西を眺めると、道頓堀が一眼に見へます。直に茶を持って来ましやろ、茶菓子がカステラ、彼処(あそこ)のカステラは分が厚うて美味い、何程(なんぼ)食べなはった」
「コレ熊さん、私は云ふ方、お前さんは聞く方、黙って聞いたら何うや。床机に腰をかけて休んで居ると、其処へお供の女中を五六人も連れた、十七八のそれはそれは水の垂る様な美しいお嬢(とう)やんが、お越しになって、私の前の床机におかけになった」
「そら気の毒な、雨にでも逢ふたんだっか」
「何が」
「水が垂れてるて」
「違ふがな、水が垂る様なとは、美しいと云ふ事や」
「若旦那、貴方ビチャビチャて云ひなはるさかいに」
「そして私の顔を見て、ニタッとお笑ひになった」
「そら不可(あか)ん、笑ふた方が負けや」
「睨み合いやないがな、後からお越しになって先にお立になった。其処へ緋塩瀬の茶帛紗をお忘れになったので、私がそれを拾ふて」
「幾程(なんぼ)で売った」
「誰がそんな物売るかいな。貴女のとちがひますかと渡すと、非常にお喜びになって元の床机に腰をお掛けになってお供の方に料紙をとおっしゃって、色紙に筆の運びもあざやかにサラサラとお認めになって、是は御礼と申すのではムりませんが、ほんの妾の心ばかりと、書いて下さったのが、“瀬をはやみ、岩にせかるゝ滝川の”と書いてある。百人一首の中で名高い崇徳院様のお歌の上の句、下の句は“われても末に逢はんとぞ思ふ”と云ふ恋歌や。此の歌の心は今此処で別れても、末には夫婦(めおと)にならうと云ふのや。夫れを貰ふて宅へ帰ったが、それから頭が上らんねん、何を見ても其の嬢やんの顔に見えるのや」
「アゝ解りました、つまりその嬢やんに貴方が惚れなはったんだっしゃろ。今さら赤い顔して俯向いたかてあかん、それならそうと云ひなはったら宜いのに。そしてその嬢はんは、何処のお方だんねん」
「それが解らんねん」
「解らん、頼りない人やな。そこまで当りが、ついたあるねん、何で丁稚さんを後からついてやりなはれへんねん、ぼんくら」
「何分熊さん頼む」
「何(ど)を仰言るか、親旦那さんに話してみます………ヘエ親旦那」
「熊さん、作治郎は何と云ひました」
「作治郎は甚い事を云ふてまっせ。作治郎は、今日を去ること二十日前に、店の丁稚さんを連れて高津さんへ参りはりましたか」
「ハイ参りました、其の日帰宅しましてから寝つきましたのぢゃ」
「さあ、それを高津さんへ参らすので、何で生魂はんへ参らしなはれへんかった」
「どうしました」
「辛度(しんど)なったので、絵馬堂の茶店へ休みはった。西を見ると道頓堀が一目に見へてる、茶を持て来た、茶菓子はカステラ、彼処(むこう)のカステラはまた美味しい」
「そのカステラでも食べたいと申しますのか」
「そのカステラは私が食べたいので」
「誰がそんな事を聞いてますかいな」
「床机に腰をかけて休んではりますと、其処へお供の女中を五六人も連れた、十七八のビチャビチャの娘はんが来ましたんや」
「お気の毒に、雨にでも逢ひはったのか」
「夫れが違うので、美しい女をビチャビチャの女といふので」
「それは熊さん、水が垂る様なと違ふか」
「その垂る様な女が来て、若旦那の前の床机に腰をかけて、若旦那の顔を見てニタッと笑ふたんで、つまりこれが魅を入れたんだすな」
「どうしましたのぢゃ」
「後から来て立つと、其処に緋塩瀬の茶帛紗を忘れたはるので、その帛紗を若旦那が拾ふて、幾程に売ったと思ひなはる」
「そんなこと思へしまへん」
「思えへんて、此処は誰でも思ふとこやで、私かて思ふたんや。そして是貴女のと違ひますかと渡すと、甚(えら)い喜んで、元の床机に腰をかけて、色紙へ歌を書いて、若旦那に渡しはった歌が“瀬をはやみ、岩にせかるゝ滝川の”と書いてますねん」
「夫れは熊さん、百人一首の崇徳院様の上の句で下の句が、“われても末に逢わんとぞ思ふ”と云ふ御歌やろ」
「ハゝン、親旦那、貴方立聞きしてたな」
「誰がそんな事しますかいな」
「今此処でお別れしますが、末には夫婦(めおと)になりませうと云ふ心の誓詞だすと。それを貰ふて帰ってから頭が上らん、何を見てもその娘はんに見える、つまりその娘はんを嫁はんに貰ふて欲しいんだすと」
「熊さん堪忍しとくれ、親と云ふ者は馬鹿な者で、何時(いつ)までも子供ぢゃと思ふて、其処へ気がつかなんだ、宜う尋ねてやって下さった。してその娘様のお宅は」
「それが解らんので」
「解らんて日本人ぢゃろ」
「そら日本人だす」
「日本人なら日本の人間が行って解らん事はなかろう、済まんが熊さん先様(さきさん)を探しに行っとくれ」
「先様を探しに行っとくれと云ひはっても、名前も所も解らんのに雲を掴む様なもんや」
「大阪中を探さんかへ。大阪で判らなんだら京都、京都が知れなんだら、名古屋、東京と日本縦横十文字に探しとくれ」
「そんな無茶な事」
「その代わり首尾よう探しとくなはったら、此の前貴方に貸したある五百円、彼れは証文返したげる。別に五百円、一生私の宅の出入頭、早う探しに行っとくなはれ」
「それは結構だすが、当の無いとこを」
「ごてごて云はいでも宜え、お前さんはほんの橋渡しだけ、何れ、それ相応の人に行って貰ひます。コレお清、熊さんの腰に草鞋を十足縛(くく)りつけてやっとくれ」
「オホ……甚い事を請取たで、家へ帰って嬶と相談や……嬶ア」
「どないしなはったんや」
「是れ是れこう云う訳や」
「コレ、人間は一生に一遍は運が向くと云ふねんし、貴郎運が向いて来たんやし。何で家へ帰る手間で先様へ行かんの」
「先様へ行かんかて、名前も所も解らんが」
「解らんて日本人やろ、日本人なら、日本の人間が行って解らん事があれへんは。大阪中探して、解らなんだら神戸、岡山、広島と縦横十文字に探しなはれ」
「主家の親旦那と同じ様に云ひよる」
「草鞋十足では足らんさかい、もう十足縛(くく)ったげる。早う探しといなはれ」
「甚い事になって来たな」
追ひ出される様にして家を出たが、大阪中を探しまはったが知れまへん。夜分十時頃に、
「嬶ア」
「コレ嬶アやない、主家から熊はまだ帰らんか、まだかとお百度の使ひやし、早う主家へ行っといなはれ」
「ホイホイ……へえ只今」
「オゝ熊さんが帰って来た、コレ熊さん疲れたぢゃろ。コレお清、早う風呂を熊さんに沸したげとくれ、それから、酒の調して肴は何でもえゝ、有り合せで辛抱しといて貰ふて、何れまた改めてゆっくり飲んで貰ふ、私の証文の箱を持て来とくれ熊さん。定めし先方様は御大家ぢゃろ、御商売は何商売ぢゃ。一寸暦を見たら、此の二十五日が宜い日ぢゃで、結納の取り交しを」
「一寸待った、親旦那。そない気の早い、まだ先方が知れまへんので」
「知れん、知れんのに何で帰って来なすった。何、証文の箱、要らん、そっちへやっときなはれ。熊さん、先生の仰しゃるには、作治郎は此処五日の寿命ぢゃと仰言る。五日の間に探しとくれや、もし五日の間に探せんような事やったら、私はお上へ願ひますせ。宅の作治郎を殺したのは、手伝の熊五郎ぢゃと」
「そんな無茶な事おますかいな」
「サアサア早う、もう五日日延べしたげるで、一日も、いや、一時間でも早う探し出しとくれや」
「段々甚い事になって来たで……嬶ア」
「どうやったんや」
「知れんねん」
「知れんのに何で帰って来なはるねん」
「お前までそんな無茶云ひな。後五日間の日延べを貰ふて来た、五日の間に必ず探す」
「そんなら又明日早いねんさかい、早う寝なはれ」
「寝なはれて、飯を食べさしてえな、腹がペコペコやがな」
「生意気な事云ひなはんな、これが知れる迄は御飯食べさせしまへん。サア早う寝なはれ 寝なはれ」
其の晩は寝ましたが、翌日は朝早うから起されて家を飛び出して、一日中大阪中を歩き廻ったが知れん。それから、毎日々々歩き廻ったが、どうしても知れん、いよいよ約束の五日目にはもうボーゥとして仕舞ふて
「コレおやっさん、いよいよ今日は五日目やし、もし今日中によう探して来ん様やったら、妾暇もらふし」
「何でや」
「何でやて、貴方の様な人に連れ添ふてゝも末の見込がないよってに」
「オイ、そんな無茶云ひな。主家の若旦那が嫁はん貰ふために、家が夫婦(めおと)別れが出来るかいな」
「併(しか)し貴方毎日何処等を探してなはるね」
「此の辺かいなと思ふ処を」
「ようそんな頼り無い事云ふてなはんな、ソレ何んや云ふ歌やしなア」
「瀬をはやみ、岩にせかるゝ滝川のやろ」
「それそれ その歌を何で云ひなはれへんね。夫(そ)れやったら何処其処(どこそこ)にもこういふ話が有ると夫れが手掛りになるやおまへんか。往来を歩いて居ても人が二三人寄ってはったら、其の歌を云ひなはれ、又町内で人寄り場所というたら風呂屋か散髪屋とかへ行って、其の歌を云ひなはれ、なるべく人の大勢居なはる処やないとあけへんし、解ったら早う行っといなはれ」
「ウフ… 薩張りわや、心配は毒やな、ゲソと痩せたで。熱は出るし、脈は早うなるし、この調子やと若旦那より私の方が先に死にそうなで。ソヤソヤ、一遍この辺でやったろかしら、極りが悪いな。人の居ん所でやったろ、いやいや人の居んとこでやっても何もならん。思ひ切ってやったろ。瀬をはやみ、フン甚い具合が悪いな。岩にせかるゝ滝川のと。瀬をはやみ、岩にせかるゝ滝川の、瀬をはやみ。ア、子供が仰山ついて来よるぞ。何、気狂ひや、阿呆云へ、狂人やないわい。其方へ行け、こら不可(あか)ん、散髪屋へ行ったろ……御免、お宅床屋はんだんな」
「ヘエ床屋だす」
「支(つか)えてますか、空いてますか」
「丁度えゝとこだす、今空いてます」
「空いてますか、さよなら」
「もしもし支えたあるのやない、空いてますねんで」
「空いてる処はいかんねん、なるだけ支えてる所やないと……お宅床屋はんだすな」
「ヘエ」
「支えてますか、空いてますか」
「一寸二三人支えてますが」
「支えてますか、大きに有難う、一つお頼みしまっさ」
「へえ待って貰はんなりまへんで」
「待たして貰ひます」
「マア一服お上り」
「大きに、御免、誰方(どなた)も。瀬をはやみ」
「アゝ吃驚した、何を云ひはってん」
「岩に瀬かるゝ滝川の、瀬をはやみ、岩にせかるゝ滝川の、瀬をはやみ」
「もし徳さん、怪体な具合だすぜ。モシ貴郎、甚いその歌がお好きと見えますな」
「イゝエ、別に好きと云ふ訳やおまへんが」
「その歌は百人一首の崇徳院様の上の句、下の句が“われても末に逢はんとぞ思ふ”と違ひますか」
「エゝ貴方はん此歌御存じだすか」
「ヘエ近頃私処の娘がえろう其の歌を云ひますものでさかい」
「ゲエ、お宅の娘はんが、此の歌を、アゝ此の歌を云ふてはりますか」
「ヘエ」
「大きに有難う。お宅の娘はん、高津さんへ行きはりますか、高津さんへ」
「そら高津さんへ行かん事おまへん」
「行きはりますか。そんならそうや、失礼ですがお宅の娘さん水が垂れてますか」
「エゝ、そら何の事だす」
「定めし別嬪さんだっしゃろ」
「フゝン、別嬪かと尋ねられて、親の口から、此様な事を云ふと何だすが、近所の噂では鳶が鷹を生んだと」
「エゝ鳶が鷹を生んだと、やっぱりそや、お歳はお幾つで」
「ヘエ、九つだす」
「瀬を早み」
「何じゃいな」
自分の番になって、散髪をしてもらひ表へ出ましたが、それから風呂屋十八軒、散髪屋三十六軒行きまして日暮前に
「お宅支へてますか、空いてますか」
「ヘエ五六人支へてますが、貴方見た事あるお方やが、今朝から私とこへ、おいなはれしまへんか」
「来ましたやろ、風呂屋十八軒、散髪屋三十六軒行きました。最初刈って貰ふた時は気持宜しうおましたが、段々短うなって終いには坊主に刈って貰ひました。此の辺がヒリヒリしてますねん」
「もう剃るとこおまへんな」
「ヘエぼちぼち植えてもらひまひょか」
「マア、一服お上り」
「大きに、何誰も御免……瀬を早み」
「又始まったで」
云ふてをりますところへ
「親方、早幕で一寸髭だけ」
「オゝお越し、お久し振りで、併し御本家甚い事が出来ましたな、お嬢様(さん)どうだす」
「あきまへんな」
「あきまへんか、お気の毒なことだすな。旦那も御心配な事だっしゃろ」
「旦那はんも御寮様も眼を泣きはらしてはります」
「左様か、してお嬢さんの御病気は」
「モシ親方、人間同じ世の中へ生まれて来るなら、好い男に生まれたいもんだすな」
「どうなったんだす」
「サイな、何でも今日を去る事二十四五日前の事、お嬢さんがお供の女中五六人連れてお茶花のお稽古、帰りに高津さんへ参詣して絵馬堂の茶店へ休んでやった。すると以前から休んで御座る何処の若旦那か、好え男だしたと、役者にも彼れだけの男前は無い、昔の光の君か、業平の再来かと云ふぐらい好え男だすて、落語家の松鶴みたいな。前の床机に腰をかけて休んで先に立上ると、緋塩瀬の茶帛紗をお嬢さんが忘れはった、夫れをその若旦那が貴女のやおまへんかと手づから貰ふた時、お嬢さん、ブルブルとふるうて、家へ帰って三日ふるいが止らなんだそうだす。その時、お嬢さんが御礼のしるしに色紙に“瀬を早やみ岩にせかるる滝川の”とお書きになって、其若旦那に渡しはって帰りはってから御病気。諸方の御医者様に診て貰ふたが、容体が解らん。処が猪飼野へ嫁入してるお嬢さんのお乳母どんが来て、始めて解った。其の若旦那に恋病、処が先方のお宅が知れん、出入の者が、八方へ手分けをして探してるが知れまへんね。気の毒に佐々木さんアメリカへ探しに行きはった。樋口さんは九州、小山さんは北陸、田中さんは東国、竹内さんは四国と、私はこれから南廻り、和歌山から紀州熊の浦へ行ってそれで解らなんだら、鯨に逢ふて尋ねて来いと此の様に仰るので。それがために風呂へ入る間もなければ髭剃る間もないで、ほんの顔だけ早幕で」
「コラ」
「何をするねん、人の胸をとって喉がしまる、痛い放しんかいな」
「何かえ、その瀬をはやみ、岩にせかるゝ滝川のと書いて渡したのはおのれとこのお嬢さんか」
「それがどうした」
「どうした。おのれに逢ふとて艱難辛苦は如何ばかり、今処で出合しは優曇華の花咲く春の心地して」
「まるで敵討やが」
「その歌を貰ふた若旦那といふのは、私の主家の若旦那ぢゃ」
「何、それではおのれとこの若旦那か、おのれに逢ふとて艱難辛苦は如何ばかり、今此処で」
「同じ様に云ふな。サア、私の主家へ来い」
「阿呆吐すな、私とこの御本家へ来い」
「いや主家へ来い」
「本家へ来い」
「主家へ」
「本家へ」
互に引張り合をし表へ出ますと、其処に瀬戸物屋が九谷焼の荷を置いて一服して居る。其の荷へ当るとガラガッチャンと破(わ)れました。
「モシモシ その様な無茶をしたら、どむならんがな、焼物が皆破れてしもたがな。貴方方は探し合ふて居る人が知れて目出度が、私とこは、わやゝ、此の仕末はどうなります」
「崇徳院様の下の句」
「破れても末に買はんとぞ思ふ」

(終了アナウンス)
 



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