*詩歌ノート*

このページは、『四季のうた』(第一集)に載っていた、
詩歌をメモしているページです。





あしきひの山河の瀬の響(な)るなへに 弓月(ゆつき)が嶽(たけ)に雲立ち渡る    柿本人麻



・・・しょっぱなから率直に「好き!」と言えない歌人が
きてしまいました。でも存在がどれだけ同人誌的であっても、
(女性の気持ちになって歌を作った等、ホモにされる確率ナンバー1)
空をテーマにした歌には滅法弱い私です。

現代語訳:省略

あしひき…「山」にかかる枕詞(意味が無い飾り言葉)。
語源は、山に登ると疲れる=“足引き”から来ている?諸説あり

弓月が嶽…奈良(大和)盆地の東南に竜王山・穴師山・巻向山があり、
そのいずれかの山だと言われている。三輪山に連なる山々。





・かきつばた衣(きぬ)に擦りつけ丈夫(ますらお)の きそひ猟(かり)する月は来にけり    大伴家持



家持の歌は嫌いではないのですが、
どうも中国(漢詩)の影響をもろに受けているイメージがあって、
良い歌があっても、メモを取るか否か迷うものばかりでした。(天邪鬼)
この歌は珍しくメモに残ったもの。

…この歌って「男くさい」けど「爽やか」で、
バスケしてる高校男子(スラムダンクとか)にキャーキャー言って
騒ぐ気持ち、に良く似ているかもしれない。

丈夫(ますらお)というのは、体の立派な一人前の男性の事。
狩人を歌にする着眼点も面白い。




・日びに啖(く)らう 茘支(れいし)三百顆(か)  辞せず 長く嶺南の人と作(な)るを   蘇軾(そしょく)



元は漢詩ですが、『四季のうた』では古文にて紹介。

現代語訳:日々、茘支を三百個も食べてます。
(こんな素敵な土地なら)、長く嶺南の人になろうとも一向に構いません。


蘇軾は北宋の詩人、1千年位前の中国人(身分は士大夫=官僚)です。
政争に敗れて、中国の辺境の地に幾度も左遷されますが、
貧乏でもめげないタイプでした。
嶺南とは広東省あたりを指し、そこは都で高値の
茘支(ライチ)が山盛り…嬉々として一首。
伝説によると、この詩を見た中央のお偉いさんは、
怒り心頭、蘇軾を最辺境の地、海南島に流したという。


・何層もあなたの愛に包まれてアップルパイのリンゴになろう   俵万智



思わず絶句するような歌ですね。
いや、素晴らしい!
実は、こういうのろけの歌も大好き…だったりします。

私の妹が、現代の短歌俳句のハードルは、
如何にして“現代的なもの”を取り入れるかにかかっている、
というような事を言っておりました。
それを思えば、
中々クリアしている句なのではないかと。


・あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月   明恵(みょうえ)



鎌倉初期の僧。禅僧かと思いきや華厳宗の方でした。
人を食ったようなこの歌…ただ者ではありません。

・父親が「お前を立派な武士にしよう」と言うと、
出家を希望していた明恵は「身体が不自由になれば武士にならなくても済む
と思い、高い縁側から身を投げた(歳)
・生きているから苦しみがあると悟り、死体処分も兼ねて
野犬の群がる野原へ身を横たえる(十三歳)
・修行中、世俗を捨てる証として耳を切り落とした(二十四歳)
インド旅行を計画するも、春日明神の神託により断念(三十三歳)
・19歳から60歳まで夢日記をつけていた

女性信徒の残していった着物を気に入り、
次の来客時にそれを着たまま現れて相手を驚かせたという逸話も。
座禅、瞑想を好み、戒律を重んじ、
念仏を唱えりゃ成仏できると謳った宗派を嫌ったのだとか。
美僧で女性に大変な人気があったらしい。


山茶花や雀顔出す花の中   青羅(せいら)


江戸中期の俳人。

・・・山茶花(さざんか)も一等好きな花で、
どうも弱いです。
ファンタジーで可愛い俳句だと思います。
雀の「顔」というのは、本来、至近距離でしか見れない
もののはず。近くない距離からその情景を眺めて、
雀の「顔」と表現しちゃうのは、心にくい


着ぶくれて浮世の義理に出かけけり   富安風生(とみやすふうせい)


明治〜昭和の俳人、官僚さん。
人付き合いを煩わしく思いつつ、切っては生きてゆけない。
着ぶくれ(服)=義理
という発想が素晴らしいです。

※原句は“著(き)ぶくれて”という言葉


・歳木(としぎ)樵(こ)るわがかたはらにうつくしき女人のごとく夕日ありけり   前登志夫


この歌を見た瞬間、
夕日を女の人に例えるなんて、何て凄い人なんだッ!!
と、感動したのを今でも覚えています。
労働の後に見る夕日って本当に綺麗ですよね…。
それを女人に例えるなんて…!
・・・なのに
前さんは、
前さんは…
白く流れる滝も“女人”に例える歌を作ってたんです!!
酷いよねえ

何だか不倫された気分。
しかし感動した事実には逆らえない。


・新しき年の始(はじめ)の初春の 今日ふる雪のいや重(し)け吉事(よしごと)   大伴家持



お正月のお祝いに詠んだ一首。
よく運動会や入学式で、雨が降った時などは、
校長先生が上手く言ってくれますよね。
「天も泣いて喜んでいる」とか。
そういうおべっかは、奈良時代も健在でした。
ましてお正月の歌。
雪が降ろうが槍が降ろうが、
何が何でも「めでたい」と言わなければなりません。

元旦から雪が降り“積もる”とは…いやはや、めでたさも“重なる”もんですねえ
「???、は?」
「雪が降らねば、土に蒔いた種が凍って駄目になるんです。
これは、今年が豊作だという天啓ではないかと…」
「・・・いやあ、流石は家持殿だ!!民草の思いまで代弁なさるとは!」
・・・
などと余計な妄想までしてしまいましたが、
本来は、
今日降る雪のように、今年一年良いことが重なるといいですねえ
ぐらいの解釈が適当です。




・うちにおふふせごのしたのうづみ火に 春の心やまずかよふらん   藤原定家(ふじわらのさだいえ)


鎌倉初期の歌人。
ぱっと見、何を書いているのか分かりませんね。
漢字化と現代かな使いにしましょう。
内匂う 伏籠(ふせご)の下のうずみ火に 春の心止まず通うらん

昔の貴族は、香水代わりに、お香を着物に焚きつけました。
籠を逆さまに伏せ、その内側でお香を焚きます。その籠の上に着物を乗せるのです。

“うづみ火”
というのは、たぶん、埋まる火=灰の火の事でしょうか。

うろ覚えの長谷川櫂氏の評。
「内側の匂いから伏籠、さらにうづみ火と視点が上から下へと誘われる。
うづみ火の中に春を見出すという着眼点が素晴らしい!」



・春の夜のやみはあやなし梅花 色こそ見えね香(か)やはかくるる  凡河内躬恒(おおこうちのみつね)


鎌倉初期の歌人。
これも、ちょっと改編しましょう。
「春の夜の闇はあやなし梅の花 色こそ見えね 香やは 隠るる」
あやなし、
というのは「わけがわからない」こと。
あやとは「綾」、布地を形成する糸の組み方を指すので、
綾なし・・仕組みがない⇒ものの筋道が分からない、不条理だ。
こんな感じで。

これ一つクリアすれば何て事ありません。
「春の夜の闇はよく分からないことをしますね。姿は見えませんが梅の花の香りが隠されている」
わ!
キザ…!!



・石ばしる垂水(たるみ)の上のさわらびの 萌え出づる春になりにけるかも   志貴皇子(しきのみこ)


天智天皇の子、志貴皇子です。
遅くに生まれた皇子で、成人した時には天武の時代でした。
これは肩身が狭そう…しかし、
裏を返せば、皇位継承争いから無縁の身の軽さ。
歌作りにも没頭できるというもの。

※さわらび・・・早蕨、生まれたてのワラビ
※垂水(たるみ)・・・そのまんまで、垂れる水

石を走る水は垂れて、その上には早蕨(さわらび)が萌え出ております、春になったもんですねえ


石を走る(横の視点)、垂水(下への視点)、の“上”のさわらびの・・・
・・・
いくつ視点を変えさせるのですか。
それがナチュラルに出来ているから、こ憎らしい…!



・フィレンツェの衰弱とともにこの地上去りし光を春といはむか    小池光


光を春と言うのはにくいですね。
しかも過去隆盛を極めたフィレンツェの光だからこそ、
そう言えるというか…。
いかにも詩人!って感じで好きです。



・ねがはくば花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ    西行


花=桜です。
きさらぎ=2月 望月=満月=15日なので、
あれ?って感じなんですが、
新暦で見積もると、3月23日。
暖かい地方では咲いていたかしら。
伝説では満開の桜の下で死んだ事になってますが。
ちなみに2月15日は釈迦が入滅した日なので、
桜の下で、しかも満月で、その上、釈迦と同じ日に死にたいと。
どこまで欲張りなんだ…。
好きなものに囲まれて死ねたら本望だなあ



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