東京と上方落語の「崇徳院」一覧(H27/2015.4.11)
二代目三遊亭百生の欄を作りました。
「崇徳院」の流れの覚書。
※戦前生まれの噺家さんがメインです。
演者 | 視聴媒体 | メモ | 演者 | 視聴媒体 | メモ | ||
人形浄瑠璃 (歌舞伎) |
『新うすゆき物語』 (1741年) (三ヵ月後に歌舞伎化) |
仮名草子『薄雪物語』を 極端に脚色した話。 薄雪姫が、清水寺に参拝する折、 若殿に対して、短歌の「5・7・5・7」 を送り、残りの「7」句をつけるよう、 夫婦になれと要求。断るなら、自殺 すると言う。若殿は承諾。物語は、 陰謀劇へと移る。 女性が男性に対して、 作りかけの短歌を送り(※)、 自分の気持ちを伝える所や、 薄雪姫が、床机に腰をかけ 硯を出して歌を詠む場面は、後に 『崇徳院』に影響を与えたか ※女性から男性へ作りかけの短歌を 送るのは、『伊勢物語』にも存在する |
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なし | 『鹿の子餅』 (1772年) |
「千両みかん」の原話、 『蜜柑』を収録。 |
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上 方 |
初代桂文治 (1773-1815) |
なし。 文治は落語本を多く出して いるが、「崇徳院」の原話と なる噺は載っていないようだ。 |
京都の清水寺が舞台か。 サゲは瀬戸物?地口落ちか。 百人一首が題材で、軽口から 生まれた噺ではないように思う。 戯作者が作った話を元にしたのか。 「崇徳院」という題のつけ方が 東京落語のようだという指摘あり。 |
江 戸 |
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松富久亭 松竹 (生没不明) (1854〜1860に 門下が登場) |
なし。 『鹿の子餅』に収録 された「蜜柑」を元に、 「千両みかん」を落語化 したと伝えられている。 |
「千両みかん」がヒットし、 冒頭を、みかんから、 初恋の相手に置き換えた噺が、 「崇徳院」? 冒頭が似ている。 ※千両みかんが江戸に 移植されたのは戦後らしい |
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? | 『古典落語 正蔵・三木助集』 (1990年・筑摩書房) |
上方の古い型は、清水寺が舞台。 お嬢さんと若旦那の小僧同士が 喧嘩をし、若旦那が仲裁する。 お嬢さんが扇子に歌を書き、渡す。 丁稚が起したトラブルを、若旦那が 仲裁する所は「皿屋」と共通する。 茶袱紗はいつ頃、出始めたのか |
? | なし。 | 江戸末期には、「皿屋」という 噺があったように思う。 舞台は、花見の場面。 お嬢さんが職人に からまれ、若旦那が仲裁? サゲは「合わせてもらう」? |
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『落語の原話』 (1970・角川書店) |
生國魂(いくたま)神社で 恋に落ちる噺もあったらしい。 人探しをするのは、番頭や 喜六(のような人物?)の場合も。 |
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速記の矛盾点から推測 |
二代目桂三木助の速記は噺の舞台を中船場と するが、噺の終盤で若旦那の家が玉造と出る。 お嬢さんと若旦那の家の名を出す時事ネタの やり方は、三木助の師・南光が始めたか。 南光以前、南光以外の噺家は、お嬢さんと 若旦那の家の名を出さないやり方だったと、 考えられる。 |
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崇 徳 院 ・ 前 上 方 型 |
二代目桂三木助 | 速記 「はなし」(明治40年) 「豆たぬき」(明治43年) (↑大正12年 再刊) |
今の崇徳院と比べて短い。 お嬢さんの家は鴻池善次郎(11代目善右衛門)、 若旦那の家は「玉造のよろかん」。 |
崇 徳 院 と 呼 べ る か 微 妙 |
三遊亭円右 | 『文芸倶楽部』 (明治41年) 「さら屋」 |
丁稚の草履が花見客の料理の 中に入り、お嬢さんが職人に からまれ、若旦那が仲裁する。 人探しをするのは本屋の金兵衛。 お嬢さん側の親方のくだりが 上方と非常によく似ている。 サゲは「合わせてもらう」 |
四代目 笑福亭松鶴 |
速記 「滑稽落語名人揃腹鼓」 (大正9年) 「落語全集」 (昭和4年) |
二代目三木助とほぼ同じ。 後半+αの台詞あり。 サゲは瀬戸物 五代目松鶴が出てくるまで、速記本上では、 上方の崇徳院は、明治末〜昭和 初期まで全く姿を変えていない |
二代目柳家つばめ | 『つばめ落語全集』 (大正5年) 「花見扇」 |
上記の「さら屋」の花見場面を さらに詳細に語った内容。 サゲは「合わせてもらう」 |
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崇 徳 院 前 ・ 東 京 型 |
柳家金語楼 | 速記(昭和2年) 「講談倶楽部」 『昭和戦前傑作落語全集(1)』 昭和56年・講談社 |
タイトルは「皿屋」だが、 それまでの東京の「皿屋」と 一線を画す。新作落語のよう。 上方の「崇徳院」の設定を移植。 「皿屋」の設定もやや混じる。 噺の雰囲気は大分異なるが くすぐりなどは、 五代目松鶴、三代目三木助に 影響を与えた可能性が高い。 鏡が割れるサゲの初出。 |
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前 上 方 型 の 派 生 ? |
演者不明 | 「上方はなし」(昭和12年・ 第19集〜20集)に 断片的に出てくるのみ。 |
崇徳院の歌が書かれた 短冊が風に乗って落ち、 お嬢さんが若旦那に渡す。 深窓のお嬢様が、歌を詠んで 若旦那に告白するというのは、 大胆過ぎる、ありえないという考え から、生まれた手法 →東京の三代目三木助に影響か |
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上 方 ・ 松 鶴 型 |
五代目 笑福亭松鶴 |
速記 『芸能懇話 第7号』 (昭和23年のラジオ放送台本) |
上方「崇徳院」の元祖。革新的な内容が6割、 上方従来のやり方が4割。新作+古典。
五代目松鶴やその周辺の者が発案したと 思しき工夫も見られる。 一例として、熊五郎が歌を暗記している点。 お嬢さんと若旦那の家は特定の名前を出さない。 時事ネタが古くなったため南光以前のやり方へ 古典回帰したと考えらる。 |
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上 方 ・ 前 米 朝 型 |
四代目桂米團治 | なし。 「上方はなし」に 断片的に出てくるのみ。 |
五代目松鶴の内容は余りに革新すぎるため、 それよりも古いやり方だったのではないか。 熊五郎が歌を忘れる設定か(弟子米朝が そのやり方をしているため)。また、 南光以前のお嬢さんと若旦那の家を特定しない やり方だった可能性が高い。
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上 |
・CD 「落語名人撰56」1981年 (ラジオ文化放送 1959年2月22日放送分 の音源の可能性が高い) ・You Tube音源あり |
四代目桂米團治より年季が上だが、 諸事情により彼の下の段に書かせてもらう。 二代目三木助や四代目松鶴の「崇徳院」を ベースに独自に進化させた内容。五代目松鶴と 金語楼「皿屋」の影響が随所に見られるが、 本人の工夫と見られる箇所も目立つ。 |
東 京 型 |
三代目桂三木助 | 速記 『古典落語 正蔵・三木助集』 (1990年・筑摩書房) |
東京「崇徳院」の元祖。 二代目橘ノ圓(1943・昭和18年- 1950・昭和25年)の時代から よく高座にかけていたらしい。 二代目三木助とは大きく異なり、 金語楼と五代目松鶴を参考に、 (志ん生の「幾代餅」もか) 一から仕立て直した印象。 熊が旦那に二度会わない。 |
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上 方 ・ 松 鶴 型 |
六代目 笑福亭松鶴 |
CD、 速記(講談社、「上方落語」) |
五代目松鶴の内容に アレンジを強く加えたもの。 お櫃、たくあん有り。 サゲは五代目も使用 した人徳。 |
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上 方 ・ 米 朝 型 |
桂米朝 | DVD、 速記(上方落語メモ、 米朝コレクション) |
上方「崇徳院」の本流その1。 若干変えたところはあるが、 あらましは米團治師に 教わった通りらしい。 熊が褒美に目が眩む。 お上さんが同情する。 |
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上 方 ・ 松 鶴 型 |
笑福亭仁鶴 | 動画 | 上方「崇徳院」の本流その2。 六代目松鶴ベースに、 米朝の設定がやや入る。 熊は褒美に目が眩まない。 お上さんは同情しない。 |
東 |
十代目 |
動画 |
三代目三木助とは別型。 |
上 方 ・ 米 朝 型 |
桂枝雀 | DVD、CD | 米朝ベース。 アレンジが極めて強い。 同じ内容を継ぐのは難しい。 サゲ無し。 |
東 京 型 |
古今亭志ん朝 | 動画(音源のみ)、 web上の速記。 |
三代目三木助をベースに アレンジが非常に強い。 この型を継ぐ者がいるのか? 熊が若旦那に二回会う。 東京では珍しく、 丁稚(定吉)が出てくる。 |
桂雀三郎 | CD | 米朝ベース。 サゲ前のアレンジは強いが、 ほぼ米朝テキストである。 米朝→(枝雀)→雀三郎 |
三遊亭小圓遊 | 動画(音源のみ) | 三代目三木助と 殆ど同じ内容。 三木助→(志ん朝)→小圓遊 |
上方と東京を二分するような表になってしまいましたが、
お互いが影響しあって今の「崇徳院」が生まれたことがよく?分かると思います。
私は大阪(といっても堺)の人間ですが、崇徳院の作者は江戸の戯作者だったら面白いなあと思います。
(大阪の戯作者だったらテンションが下がりますね…意外性が無さ過ぎて)
桂文治の落語本を見ましたが、どうも彼が一から「崇徳院」を作ったようには思えません。
男女のいざこざの噺とか見ると「口合小町」の作者らしいなあと思うのですが、
恋の噺は柄にない感じがします。
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