戦前の上方落語「崇徳院」に登場する「玉造のよろかん」とは何か<1>

「序(発端と問題提起)」

 私が落語「崇徳院」に出てくる「玉造のよろかん」について調べようと思ったきっかけは、落語会でこの噺に大きな感銘を受けたからだ。

 昔はどういう形で語られていたのだろうと思い、国会図書館から明治時代の「崇徳院」の速記(演者の話した言葉をそのまま文章化した読み物)のコピーを送ってもらった。早速読むと現代と余りに演じ方が違うので驚いた。まるで別物である。

 特に物語の終盤で若旦那の家を「玉造のよろかん」と書かれていることが心に残った。それまで聞いたことのない商家名だったからだ。

 調べてみると幕末から明治にかけて玉造に万屋小兵衛(※1)という商人が居たことが分かった。彼の名を縮めても「よろかん」にはならないが暗に指しているのだろうと初めはそう捉えていた。

 一方で、若旦那の惚れたお嬢さんの家は鴻池善次郎(※2)と速記に書いてある。万屋小兵衛とは47才も年が離れており、何故、よろかんが対の商家として落語に出てきたのか分からない。

 誰が、いつ、何の目的で「崇徳院」の中によろかんを入れたのだろうか。

 私は初め、明治時代の噺家は時代考証などをせず落語をしていたのではないかと考えていた。しかし、それは後に見当違いの考えであったことが明らかとなった。

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<注釈>

※1 万屋小兵衛(文政元年(1818)~明治21年(1888))。玉造の富商。国学者・佐々木春夫の商人名。

※2 11代目鴻池善右衛門幸方(慶応元年(1865)昭和6年(1931))。別名は始、善次郎。明治17年に家督を継ぐ。同30年、鴻池銀行を設立。 

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参考文献

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